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 大阪府堺市南旅篭町東に南宗寺というお寺があります。ここには、有名な戦国武将のお墓があるのです。
 ではそのレポです(2002年11月18日)。
南宗寺入口 臨済宗大徳寺派龍興山南宗寺の総門のそばにある石碑です。家康とか古田とか信長信忠などいくつかの文字は読めました。松永久秀の乱や大坂夏の陣で焼けたのですが沢庵と堺奉行所の喜多見若狭守勝重が復興に尽力したそうです。
坐雲亭 受付で拝観料400円を払い、少しお寺の人と話しました。えっ!そーなんですか!!新事実を聞かされました。真田幸村関連の書物でも○○の墓という記事が載っているだけでしたが・・・。さて、それは何でしょう。画像は坐雲亭というそうです。
千家一門のお墓 これは千家一門のお墓です。堺と言えば千利休ですね。
津田家のお墓 これは津田家のお墓です。
武野紹鴎のお墓 これは武野紹鴎のお墓です。
三好一族のお墓 拝観の順序の通りに歩いています。これは三好長慶一族のお墓です。
お墓 歴代の墓とあります。なんの歴代でしょう?さて、だれのお墓を探しているのでしょうか?
むむ これは・・・??受付で説明してもらったアレではないでしょうか。こんもりと土が盛ってあります。これの説明の立て札は立っていないなぁ〜。
開山堂 全体を撮りました。開山堂跡です。奥に写っているのが三好長慶一族のお墓です。
東照宮跡 紅葉が綺麗です。正面に何かあります。案内図には東照宮跡とあります。
徳川家康のお墓 あ、これです。今日はこれを撮りに来ました。おぉ〜、読めますか??なんと徳川家康墓と刻まれています。
徳川家康のお墓 秋の風情を織り交ぜて撮りました。このお墓の写真は幸村関連の書物に紹介されています。ですので、これがお墓だと思っていました。今日はほんとこれだけを撮りに来たのにいい情報が飛び込んできました。お寺側のお話ではこれはお墓ではないそうです。先に出ておりました画像で盛り土をしたところに瓦のようなものがありましたが、その奥の碑が家康公のお墓なのだそうです。
南宗寺 この画像の横に徳川家康墓と刻まれた墓石があり、正面奥に本当のお墓があります。う〜ん、来てよかったなぁ。
津田一門のお墓 これも津田一門の墓という説明です。
拝観不可 織田信長信忠公供養塔とあります。拝観不可です。
総門 総門です。この門も幸村関連の書物に紹介されています。
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伝説 先ほどの坐雲亭の説明書きです。元和9年(1623)に秀忠、家光がやってきたことや東照宮が祀られていることなどによって、家康が後藤又兵衛の槍に刺され南宗寺に埋葬されたという伝説が残ったと説明されています。伝説でしょうか?事実でしょうか?
おまけ これ

 いつか行かなければと思っていた南宗寺。家康公が討死した伝説はいくつかありますが、ここは家康が敗走の途中で槍傷を負わされ、ここまで逃げてきたときにはすでに死んでいたという伝説があったのです。その後の家康はいわゆる替え玉でまさに影武者徳川家康であります。幕末の剣聖山岡鉄舟も家康の墓と認めたとか。あと、水戸家の家老の子孫の方が家康の碑を建立されておることをみても、以外と家康の討死もありうるかと思います。まぁ、後藤又兵衛の槍でっていうのは創作でしょうが無名の兵の槍よりは又兵衛の槍のほうがいい。まぁ、いずれにせよ、実際に負傷したひとかどの家康軍の武将がここで亡くなったのではないでしょうか。秀忠や家光が後年訪れたことや幸村や又兵衛の英雄伝説とあいからまって、その人物が家康では??という噂がたったのでしょうかね〜。

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